御史台内でも、その部屋は長官室の次に有名な部屋だった。
部屋の主は陸清雅。
御史台長官の切り札とも言われる彼を知らないものなど、この御史台にはいない。
彼がどんなにやり手か、そして仕事のためならどんなに冷酷になれるかも知っている同僚達は、当然ながら普段から仕事以外でその部屋に近づこうとはしなかった。

そんな部屋の中で部下達からあがってきた膨大な報告書を読んでいた清雅は、ふと一枚の調書にその目を止める。
先ほどまで険しく張り詰めていた顔が一瞬、驚きの表情に変わって。
そしてすぐに彼の顔に浮かんだのは嘲りの笑顔。
「これでまた暇つぶしができたな」
そう呟いた彼の顔はとても嬉しそうだった。





普段となんら変わらない穏やかな昼下がり。
御史台内で一番小さなはずれの部屋。
自らに与えられたその部屋で仕事を黙々とこなしていた秀麗は、ふと窓の外に目を留めた。

「あら、ずいぶん曇ってきたわね…」
「ん…?ああ、夕方には雨になるかもな」
傍らで資料を集めていた蘇芳もゆっくりと顔を上げて、外の様子を見遣る。

「そうね。今日は早く帰ったほうがよさそうだわ」
「だったら仕事早く終わらせようぜ。今日はもういいんじゃね?」
「ダメに決まってるでしょ!定時まで仕事しないと給料泥棒になっちゃうじゃない!」
「え〜…」

気を抜くとすぐにサボろうとする蘇芳はなんとかならないのだろうか。
押し付けるつもりはないが、頭は悪くないんだからもう少し頑張ってみてもいいのにと思う。
でもまあ、そんな気負わない自然体の蘇芳に助けられることが多いのも確かなのだけれど。

「え〜じゃないわよ。喋ってる暇があるならとっとと仕事して早く帰るわよ!」
「はいはい、わかりましたよ…」
そう言って蘇芳は大人しく自分の仕事に戻る。
秀麗も早く終わらせてしまおうと、自分の仕事に手をつけ始めた。

この後起こることを知っていたら、秀麗は間違いなく蘇芳の提案に頷いていただろうに。
このときの秀麗はまだこれから起こる不幸を知らなかった。





「あちゃ〜…完全に降ってるわ…」
あれから、精力的に仕事をこなしていた秀麗の元へ突然清雅がやってきて。
早く帰ろうと思っていたにもかかわらず、大量の仕事を押し付けられた。

何でこういう日に限って、嫌がらせのように仕事なんか持ってくるのよ!
いや、多分口にこそ出さないが嫌がらせに違いないのだろう。
押し付けられた仕事は緊急のものではなかったから、それは明日にしてとっとと帰ってやろうと思っていたのに。
そんな秀麗の心を見透かしたかのように、放たれた清雅の一言。
「今日中に提出しろよ、その仕事。長官がお待ちだぜ」

こんな下っ端に回ってくる仕事、しかも全く急ぎでない仕事の提出を、ありえないほど忙しい長官が待っているなんてそれこそありえない。
絶対嫌がらせだ。
でも長官の名前を出された以上、無視することはできない。
そうして秀麗は結局定時の時間を過ぎるまで、仕事を片付ける羽目になったのだった。

「清雅の馬鹿!いつもより遅くなっちゃったじゃないの!しかも雨降ってるし…」
一体どうやって帰ったらいいのだろうかと思考に耽る。
傘の類は持っていないし、車を使うなどというのは家計的に到底無理だ。
やっぱりこの雨の中、濡れて帰るしかないのだろうか。

「もう…最悪だわ…」
仕方ないと覚悟を決めて雨の中に踏み出そうとした秀麗は、次の瞬間に体を強張らせた。

ぴかり、と。
雨雫を落とすどんよりとした空が瞬間、光ったのだ。

「っっ!!?」
ま、まさか。
秀麗の嫌な予感通り、空から聞こえてきたのは。

「〜〜〜っ!!!いやぁーーー!!うぎゃーーーー!!」

秀麗がとにかく大の苦手な、―――稲妻の音だった。
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久しぶりに書いたら感覚を忘れてた清秀。
次に続きます。