遊廓吉原を取り囲む高い塀と外界とを繋ぐ門がある。
まるでその場所が現世から切り離され異質な世界であることを象徴したかのような、朱色の門。血の 色とはまた違う赤に染められた大門はここ吉原の名物であり、また遊女たちにとっては残酷な鍵でも あった。
一度吉原に足を踏み入れた遊女は、年期が明けるまで決して吉原の外には出られない―――。
遊女ならば誰でも身をもって体験するその掟。それを可能にしているのが高くそびえたつ朱門だった 。
遊廓と外を繋ぐのは大門だけ。つまり外へ出るならば必ず大門を抜けなければならない。
だがそこには遊女たちの脱走を未然に防ぐため、そのためだけに雇われた見張りの男たちが常に目を光らせている。店から逃げ出した女があれば、すぐさま店は遊廓唯一の出入り口である門に知らせを送る。何処の店の何々という遊女がそちらを通る、と。つまり外へと逃げられぬようたった一つしかない通り道を塞ぐのだ。
時折思い余った遊女が脱走を試みることがあったが、どれもこれも上手くいったためしなど聞いたことはない。
それなりに馴染みの客が多い人気の遊女ならば客と連れだって外へと足を伸ばすことは できるが、本当の意味で遊里(さと)を出られるわけではない。
年期が明けるか、何処ぞの御大尽に落籍(ひか)れるか―――。大門を潜るにはその二つの方法しかないの だ。
この制度が作られたのは吉原が成立してすぐのこと。圧倒的な威厳ある姿で長く遊廓の顔として在り続 けたその門が、遊女たちに悟らせる。自分たちはあくまで商品でしかなく、籠の中に囚われているの だということを。この世界は夢のような外観からは程遠く、桃源郷でも極楽浄土でもない真の地獄なのだと。

誰もがそう絶望の眼差しで見上げるその門の前に、ルルーシュは静かに立っていた。
遊女は朝になると買った旦那の身支度を整え、旦那を外の世界へ送り出すため見送りに立つ。それが 店の前までか、それとも大門の前までかは各々で異なるけれども、見送ったその場で相手から次の約 束を取り付けるのが遊女たちのお決まりの手管であった。
「ありがとう、わざわざ見送りしてくれて」
本来なら初会の相手に大門までの見送りなど必要ない。だがルルーシュは供の禿も連れず、大門までスザクを送った。ただ、理由は次の約束を取り付けるためではなかったけれど。
昇りはじめた太陽の光が、隣の男のくるくると跳ねる栗毛に降り注ぐ。光を受けたその髪がきらきらと輝く様子がとても綺麗で、ルルーシュはふと、こんなに朝の似合う男はそう居ないだろうと思った。
「ルルーシュ…?」
一晩を過ごした店を出てからずっと、押し黙ったままのルルーシュを気遣うように声がかけられる。そんなところがいかにも彼らしくて、ルルーシュは余計表情を曇らせた。
こんな思いをするくらいなら、再会などしなければよかった。そうすればルルーシュは昔と何一つ変 わらないスザクに苦しさを覚えずに済んだ。
随分自分勝手な言い分なことぐらいわかっている。
スザクがこの二年間、一生懸命自分を探してくれていたのだろうことはルルーシュにだって想像はつく。勝手に別れを告げて目の前から消えた女を、優しい彼は必死になって追いかけたのだろう。
その苦労は並大抵のものではなかったはずだ。なにせ自分は何一つ、行き先すら告げずに行方を眩ませたのだから。
ルルーシュのためにそこまでしてくれるスザクの気持ちは本音を言うととても嬉しい。だがしかし、 それでもルルーシュはこれ以上スザクに踏み込んで欲しくなかった。
「…もう、これきりにしてください」
スザクを見ていると思い出してしまうのだ。確かに幸せだった過去の自分を。
スザクは本当にどこまでも昔のままだ。一度決めたら頑固なところも、一つのことに向かって真っ直 ぐなところも。ルルーシュを愛しそうに見つめる、その瞳も。
だからこそ、ルルーシュにはそれが苦しい。かつてと変わらないスザクの傍にいると、変わってしま った自分がひどく醜いものに成り果ててしまったかのように感じるから。
いや、実際自分は醜いのだ。やれ花魁だ太夫だともてはやされようと、所詮は一人の女郎。客を取り、女を売りにして生きる生き物だ。
それはとっくの昔にわかっていたことなのに、スザクといると錯覚してしまう。自分がまだ一介の商人の娘であるかのように。そう思ってしまうのは、自分の中に未だ現の世に対する未練が残っているからに違いなかった。
太夫にそんな未練は必要ない。この世界で生きるのに不必要な感傷など、早々に切り捨ててしまった ほうがいいのだ。
「もう二度と来ないでください…お願い」
突き放したいから、わざと丁寧な言葉で拒絶した。これ以上、過去の自分を見るのはやめて欲しいと。
「それは、僕がきみのお眼鏡に適わなかったということ?」
ルルーシュは僅かに躊躇ったが、黙って頷いた。
「僕、何か君の気に障るようなことした?」
これには、すぐさま首を振った。その勢いが激しかったものだから、尋ねたほうのスザクは逆に驚いたようだった。
「じゃあ、どうして?」
「………」
そんなの、スザクに会いたくないからに決まっている。会って、昔の思い出に浸る自分を見るのが怖いから。
きっと一度過去を振り返ったら、自分はもう客など取れない。この遊里で生きていくことはできない。
そしてなにより―――。

“ルルーシュ”

あの人が、私に向ける言葉を聞くことができなくなるから。
ルルーシュのそれより薄い紫の瞳を、真っ直ぐ見つめることはできなくなるから。
きっとシュナイゼルはルルーシュがスザクと逢瀬を重ねようと、何も言うことはないだろう。あの人はそういう人だ。
だからこそ、ルルーシュはスザクに心を許すわけにはいかなかった。一度踏み込まれたら、自分は溺れてしまう。そうしてきっと、昔へ戻りたいと願ってしまうのだろう。
そんなことになったら自分のシュナイゼルへの想いは粉々に砕けてしまう。この二年間、少しずつ積もり重なって、この世界で自分の生きる意味へと変わっていった彼への想いが。
それはつまり、自分を失うということだ。
「お願い、帰ってください。もう二度と来ないで」
ぐいとスザクの体を門の外へと押し出す。これ以上話すことはないと、俯いたまま。
「ルルーシュ!」
引きとめようと叫ぶスザクへと背を向けて、元来た道を駆ける。
「来てくれてありがとう。さよなら、スザク」
震えそうになる声を必死に押しとどめて、それだけ告げた。背後で何度も名前を呼ぶ声が聞こえたけれど、それに振り返ることはしなかった。
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何度も言うようですが、これはシュナルルですよ!(笑)
次はシュナイゼルがちゃんと出てくる予定です。